近赤外分析計の歴史

コラム

前回“国内で近赤外分析計の導入がいち早く進んだのは製粉会社でした”と書きましたが、当時は干渉フィルタータイプでした。Technicon社(米国)製近赤外装置は最大19枚の干渉フィルターが組み込まれており、この吸光度データと水分やタンパク質の手分析値を重回帰分析(MLR)により検量線作成を行っていました。

Neotec社(米国)製近赤外装置には3枚の干渉フィルターが内蔵され、この干渉フィルターと光源の入射角をかえて波長を変えるユニークなティルティングフィルター方式が採用されていました。検量線作成には当初重回帰(MLR)を使用していました。のちに回折格子を用いて近赤外領域を走査(スキャン)する装置が発売されました。検量線作成は、当時現在のような演算速度の速いPCは存在せず、検量線作成に時間を要しました。

その後CPUの高速化が進み、演算手法も主成分回帰(PCR),PLS回帰(PLSR)へと進展しました。分光方式は、赤外分析法(中赤外)では一般的であった干渉計(フーリエ変換型)が加わり、その他音響分光(AOTF)方式などのユニークな製品も発売されました。最近は回折格子と検出器が多数ならんだフォトダイオードアレイが組み合わされた分光器やMEMS(微小電気機械システム)を使用したコンパクトな分光器など選択肢は多様化してきています。

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